まず、今回なぜ
バリに行くことになったのか

について

それは夫の元に届いた
1通のメールがキッカケでした。
メールの送り主は
夫のおじさん。
お義母さんの弟で、
通称・「タフ兄さん」。
通称・「タフ兄さん」。
タフ兄さんから
「年末年始を今年もバリで過ごすけど、
君たち夫婦も一緒にどう?」
と
お誘いを頂いたのです



タフ兄さんは大学で人類学の教授をしており、
調査のために日本とバリを行き来する
生活を送っています。
初めてタフ兄さんの仕事について
聞いたときは、
「バリに行くのが仕事

そんな楽しそうな仕事が
この世に存在するなんて
」


と、衝撃でした。
もちろん、「大学教授」なんて
選ばれし
天才
のみなれる


ご職業。
私なぞが羨ましがること自体
相当、罰あたりなのですが・・・

夫がまだ学生の時、
タフ兄さんの調査旅行に
何度か一緒に連れて行って貰い、
タフ兄さんの友人のバリ人たちと
コミュニケーションを取るうちに
インドネシア語を自然に習得したり、
ローカルコミュニティーに
入り込む為の"ワザ″を
学んだり・・・
石鏡という小さな漁師町で
余所者として移住してきた夫が
今こうして共同体の一員として
余所者として移住してきた夫が
今こうして共同体の一員として
受け入れてもらえるようになるまでに、
バリでの学びや経験が
大いに役立ったと
夫は言っていました

夫は言っていました


タフ兄さんは
夫の人生に多大な影響を与えた人物なんです
夫の人生に多大な影響を与えた人物なんです

今回の旅行には
タフ兄さんと私たち夫婦の他に、
タフ兄さんの大学の学生さん、
元教え子の男性2名と
そのご家族、フィアンセまで揃い、
総勢9名が同じ宿で
暮らすことになりました



部屋はもちろん別々ですが、
みんな朝は共同スペースに集まり、
一緒に朝ごはんを食べながら
各々の今日の予定を話して、
一緒に出掛けたり
別々で出掛けたり。
出掛けない日は
タフ兄さんの部屋にある
リンディックという楽器を
練習したり、
勉強したりして
過ごしました。
今回の旅行は
あくまで皆プライベート。
タフ兄さんに敬意を払いつつ、
打ち解けた雰囲気の学生さんや
元教え子の方達を見ていて、
先生とこんな関係を築けるなんて
素敵だなと感じました

彼らのタフ兄さん(先生)に対する
態度から感じたのは、
タフ兄さんは彼らにとってただの
「お世話になった大学の先生」
なのではなく、
「自分もいつかこうなりたい」
と思える存在なのだという事です。
タフ兄さんは
一生懸命な学生さんの質問にも
「そんなの自分で考えれば~?」
と言い去ってしまいます

自分の経験談も話さない。
アドバイスもしない。
学生には自分で考えさせ、
間違ってもいいから
好きな様に行動させる。
好きな様に行動させる。
と、いうのが
タフ兄さんの教育みたいです。
タフ兄さんのする事と言えば、
インドネシア語が話せない
学生さんの眼の前で
バリ人と流暢なインドネシア語で
おしゃべりをして冗談を言い合ったり、
難しいリンディックを
プロ並みの腕前で軽々と弾いてみせたり。
「すごいですね」なんて言うと、
「なんで出来ないのかが分からない」
と、キツめのひと言



(ちなみにうちの夫も良くコレ言います・・・

それを聞いて卑屈になって
「嫌味な先生だな
」と思うか、
「嫌味な先生だな

「悔しい!」と思って努力をするかは、
その人次第。
タフ兄さんの元教え子には
変わったひ 個性的な人が多いと
聞いたのですが、
納得です。
納得です。
こんな先生に出会ってしまったら
ありきたりな人生なんて
選択しないのでしょうねぇ・・・

大学では
タフ兄さんの事を怖いとか
苦手に思ってる生徒が多いと
聞きましたが、
「響いた」生徒にとっては
間違いなく
「人生を変える先生」
なのだと思います・・・

素敵なおじさんを持っている夫を
羨ましく思いました

ただ、タフ兄さんと夫が揃うと
本当に自分がミジンコか何かのように
思えてくるので
あまり長く一緒に居ると
精神的にきついデス・・・
本当に自分がミジンコか何かのように
思えてくるので
あまり長く一緒に居ると
精神的にきついデス・・・