今日はちょっとシリアスな話を。
サチバアから聞いた話です。
太平洋戦争のさなか、
空襲警報が鳴ると
石鏡の上空を
飛んで行ったそうです。
多くは名古屋へ爆弾を落としに行ったそう。
当時、小学生だったサチバア。
夜間の空襲に備え
寝る時も寝巻に着替えず
いつでも逃げられるような恰好で
布団に入っていたそう。
24時間の、緊張状態。
ある日のこと。
石鏡の沖を航行していた貨物船が
アメリカ軍の飛行機に襲撃され
そのまま隣村との境界の浜へ
船ごと突っ込んできました。
モクモクと上がる黒煙。
それは遠く離れた浜からも
見えたんだそうです。
朝から磯へ海女に行っていた
女性たち。
海女をしていると
石鏡の方から
真っ黒な煙が上がっているのに気が付き
瞬間、
「石鏡に爆弾が落ちたんだ」
と
海女さんたちは思ったそうです。
道も車も携帯もなかった当時、
濡れた髪を振り乱して
家は無事か、家族は生きているかと
着の身着のまま
目に涙をいっぱい溜めながら
険しい山道をわら草履で
必死になって走って帰ってくる
お母さんたちの姿が
目に浮かびました。
石鏡の町が無事だと分かって
みんなその場で
泣き崩れたそうです。
それでも襲撃を受けた
貨物船の乗組員たちは
胸から真っ赤な血を流して
担架でつられていったそうです。
「あの人は、死んだだろうな」
と言うサチバアは
当時まだ小学校の高学年。
まるで昨日の事のように
空襲の事、飢餓の事、死ぬという事
について話してくれます。
「いい時代に生まれて、良かったね」
と言われると
返す言葉がありません。
私の祖父は
戦争の話をあまりしたがりません。
たぶん、祖父なりの想いが
あるのだと思います。
でも、戦争だけはいけないと
言っています。
それはサチバアも同じ。
戦争だけは絶対にいけないと
何度も言います。何度も。
こういう話を聞ける機会がある事
話してくれる人が側にいる事、
無駄にしたくないなぁと思い
ブログに書いておくことにしました。