こんにちは、リッチャンです。
おかげさまを持ちまして、9月12日を最後に2019年の夏磯(なついそ)=夏の海女漁を無事終えることが出来ました。
事故もなく、みな楽しく健やかにシーズンを終えられたことを嬉しく思います。
さて、3ヶ月近く海女をお休みしてサラリーマン(?)をして、シーズン終わり掛けにちょっと海女に復帰した際に感じたことを本日は記録しておこうと思います。
2015年の冬に海女を始め、3年海女をゆっくりペースながらも続けてやってみて、そして収入が安定せず生活が苦しくなったことから海女を辞めて会社勤めをした2か月半。
「海女だけでは食べていけない」と言われるこの業界。
「海女に向いていない人」である私が海女を3年間やってみて、その難しさを身をもって知ったことで海女ライフからのフェードアウトを覚悟しました。
勤めに出てまとまったお金が毎月手に入るようになり、支払いの滞っていた幾つかの請求書を片付けることが出来ました。
天気都合で仕事の有無が左右される事もなく、決まった時間に決まった場所へ行けば仕事が出来る日々が続きました。
ただ、とても寂しかったです。
休みの日に久しぶりに道端で海女仲間と会っても、会話が思ったように弾みません。
磯場の話をしてみても、なんだか浦島太郎な感じで、こちらから海や漁の状況を説明する材料がなく、相手から情報を聞き出すばかりで話が上手く盛り上がらないのです。
なんだか観光客や取材に来た人が海女さん達に色々と質問しているあの状況と一緒なんです。
私も、海女だったのに。
いつも獲った貝を水揚げする漁協の市場に行っても、なんとなく【居場所がない】感じがして、落ち着きません。いつも腰掛ける場所に座ってみても、なんだか違和感を感じます。
私の姿を見て、パッと顔が明るくなり「久しぶりやな!最近見んかったもんで、心配しとったんやぞ」と声をかけてくれる海女さんにホッとしたのも束の間。
「今日は海女さん行っとったんか?」という質問に対して首を振ると、とたんに相手の表情が曇り、残念そうになるのを見た瞬間、何とも言えない寂しさを感じました。
(あぁ、私はもう仲間じゃないんだなぁ)
と、静かに思いました。
疎外感とはまた違う、寂しさでした。
伝わってくるのは、相手も一種の寂しさを感じていて、私も同じような寂しさを感じている。そんな感覚でした。
海女だけでなく、石鏡で海に関わる仕事をしている人たちは、この一つの同じ「海」を通じて互いを仲間と認め合っているのかもしれません。
海女へ行かなくなり、その日その日の海の事が分からなくなるだけで、こんなに人って「離れてしまう」んだなぁと、痛感しました。
海女さん同士の会話で飛び交う「風」「波」「にごり」「潮の流れ」などを表すワードや、その日誰がどこの漁場で潜っていたか、誰がどれだけ獲っていたかなど、それらは何となくその場で空気を読んで合わせたくらいでは通じ合わないんだと分かりました。
同じ海の状態を、同じ時間に共有していたからこそ、「今日はえらい(酷い)日になったな」という一言に含まれる様々な意味が一瞬で伝わり合う。
あの、『私たちは今、同じ海について話しているね』という感覚は独特なものです。
海女さん同士であっても、他地域の海女さんと海や海女の話をする時、いつもいつも話が盛り上がるとは限りません。ですが、一つでも何か「分かる!一緒だね!」という共通の感覚が掴めると、途端に心の距離が縮まります。
久しぶりに海女に行くようになって気が付いた、「今日の海は~」とこちらが話し始めた時にほんの一瞬だけ見える、相手の海女さんの目の輝き。
あれは自分が海女だったからこそ見ることが出来た【仲間の合図】だったんだなと、海女の世界を離れて初めて知りました。
私は海が好きで海女に行くのではなく、石鏡の海女さん達の人柄みたいなものが好きで行っているようなところがあります。
そのせいで、「海女で大して稼ぎにならなくても、まぁいっか☆」というような甘い考えがありました。
ですが今回、ちゃんと収入にならないと私は海女を辞めなくてはならず、海女を辞めると大好きな石鏡の海女さん達と一緒にいることができなくなり、そしてそれは私にとって想像以上に寂しいものだったと気付き後悔しました。
海女を始めようと思った当初、そして海女をぼちぼちのんびりペースでやっていた3年間と違い、まじめに「海女でもっとちゃんとお金が稼げるようになりたい」と思うようになりました。
きっと他の人には当たり前の事なのだと思いますが、ものすごく今更な事ですが、私にとってはようやく、今まさに「海女をしたい」と思った初めての経験でした。
今度は後悔しないように、ちゃんと海女を辞めなくてもいいように、このコミュニティーから離れなくてもいいように、海女をしようと思います!!